8.22
自分は”好き”というものが人より浅いとつくづく感じるのだ。
この場合の好きとは趣味等のことを指す。
何かを好きでいても人よりも知識もなければ情熱も少ないと人を見ると感じてしまう。
おそらくこのどうしようもない劣等感は他人を見ず、自分だけを見ればいいのだろう。
ただ性格上、負けず嫌いなところがあるから、人の技術や思考を見て学ばなければ何も向上しないことも知っているので見ずにはいられない。
書いたらまとまって来た。
”好き”とは自分の中で完結させるものであり、誰かと競うものではない。
浅くてもいい。
好きと技術獲得は違うベクトルで考えたほうがいいのだろうな。
人は全員違う。環境も性格も。ならば、ならばどうなのだろう。
時間をかけて鮮やかに輝く何かのように、死ぬときに楽しかったと言える人生であればそれでいいのだ。
そのための努力さえできたなら、僕は満足だろうな。
頑張ります。自分のために。好きな人のために。好きなもののために。
にゃん。