文字を書かねば脳は死ぬず
死にたくはないけど、この世には居たくない
鏡を見ると不思議になって何故居るのか疑問になるミミズク
臭い電車内、こそばゆく胃を揺さぶるは中央線快速特急
パニックが蔓延し、スマホを目で食う乙女と黒い革靴量産型 トッポみたいで甘くて美味しいわず!
喉を刺される空気 涼しや涼しや 11月になりました。
うちのポケモンマスターは影が無いんです。バグですか?
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中央線特急帰宅の中でこの文を書いています。
タイトル通り文字を書く脳を作らないとアイデンティティ(死語)がオワタ[死語]になってしまうので。
…これは文章では無いのではないか…?
最近は転職活動を始めています。地元に帰りたいです
あとポケモンを買いました。ダイパで終わっていたので知らないポケモン達が出迎えてくれるので、とても楽しい。イヌヌワン!
イヌヌワンって凄いですよね。
犬でワンでわんですよ。含まれすぎている。
駅を降りました。
それではまた。
日々を焦って生きている。
日々を焦って生きている。
人はいつか死ぬ。それはそう。
だからこそ、毎日を同じことで過ごしたくはないと考えてしまう。
それは仕事でも同じ考え方をしている。
同じようなことの繰り返しをするとよもや死んでいるのと同じなのではないかと。
飽きるのが早いと思われがちなのだが、それは違う、と思う。
ただ単に同じことを繰り返すと何かが減っている気がしちゃう。
まぁようは、仕事もはや嫌だ。それだけです・・・
うお~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
パイナップルアイス
私はDNAをまき散らしている
下ネタではないことは先に明言しておきたい。
つい先日、よみうりランドプールへ行ってきた。
夏休みに入って半ばであろう子供たちとその親。それたちが成長して、リンゴを吐き出したアダムのイブのように、恥じらいもなく半裸体を太陽に差し出す若者。
そんな人間たちが氾濫として居た。
そんな中私は一人理性を抱えて泳ぎに向かったのである。
会社に疲れ、子供の絵のように照り付ける熱いチキン太陽がストレスとなって、私は耐えられなくなり逃げ出した。そんな逃避行の先がここ、よみうりランドプールなのだった。
その日も太陽が厳しく、これは熱中症対策をせねばなとスポドリと日傘、浮かれて浮輪も買っておいた。
これですべては万々歳で私はすべてから逃れられるだろうと思った。
ここで一つ。
私は美容にからきし興味がない。
美肌なの、肌荒れなの気にせず生きてきた。
UVだの日焼けだの、関係ないと生きてきた。
部活で経験すべきことを青春に置いてきてしまった私だった。
部活は一年ごとに辞めたし最終的に帰宅部になった。
つまり、どういうことかというと
こっぴどい日焼けをした。
もはや火傷。
あれだけ熱中症には気を使っていたのだが、日焼け対策は全く考えもしなかった。
プールで肌を冷ましては焼かれ、冷ましては焼かれ。
帰るころには肩や胸が燃えるように痛く、触ると熱い。
体内は熱中症対策で冷えているのに表面が燃えるファイアーマンなのである。
私が何をしたというんだ?
何もしていないからこうなった。
帰り道で薬屋に寄り日焼けの薬を買った。
横には日焼け止めクリームが売られていたのが、ひどく心と肩が落ち込んだ。
遅いよ。なにもかも。
寝るときは氷枕に冷えピタ。
風邪でもこんなにならないよ。
燃える体を耐えきって3日ほどして落ち着いてきた。
しかし、その後水膨れのようなものが痒みと共に現出し始めたため病院へ向かうことにした。
汗であった。
薄皮がはがれたところに汗が入り込み、たぽたぽと水風船のようになっていたのである。驚愕。てかばっちいな。
かゆみ止めを貰い、ぬりぬりと軟膏を。
みじめである。
なぜ夏の対策を代表だけ抜き出したのか。
サブメンバー集めなさいよ。限定でもよ。
後悔ばかりである。
そうして今は皮がむけてぼろぼろと落ちてきている。
治ってきているということだな。よかったよかった。
このぼろぼろタイム(けいおんの歌みたいですね)で一つ思ったことがあり、
それは
「私は今、DNAをこの場に落としている」
ということだ。
この連休はいろいろなところへ行った。
そのすべてのところに私の肌、DNAが散乱している。
それを思うと、背徳感と、少しだけわくわくする自分がいた。
蔵王の山の頂上に今も私がいる。
ホテルの畳に私がいる。
私が生きて、ここに来た証がある。
私が日焼けで苦しんだ勲章が撒かれている。
私はDNAをまき散らして、今、ここにいる。
それってすごいことなんだ。
生きています。DNA。
ありがとう、DNA。
それはそれとして、日焼け対策はちゃんとしろよ。
あと普通に汚いから外で肌を触るな、ぼろぼろするだろ。
あと
プール、楽しかったです。
あと久々更新でした。
8.22
自分は”好き”というものが人より浅いとつくづく感じるのだ。
この場合の好きとは趣味等のことを指す。
何かを好きでいても人よりも知識もなければ情熱も少ないと人を見ると感じてしまう。
おそらくこのどうしようもない劣等感は他人を見ず、自分だけを見ればいいのだろう。
ただ性格上、負けず嫌いなところがあるから、人の技術や思考を見て学ばなければ何も向上しないことも知っているので見ずにはいられない。
書いたらまとまって来た。
”好き”とは自分の中で完結させるものであり、誰かと競うものではない。
浅くてもいい。
好きと技術獲得は違うベクトルで考えたほうがいいのだろうな。
人は全員違う。環境も性格も。ならば、ならばどうなのだろう。
時間をかけて鮮やかに輝く何かのように、死ぬときに楽しかったと言える人生であればそれでいいのだ。
そのための努力さえできたなら、僕は満足だろうな。
頑張ります。自分のために。好きな人のために。好きなもののために。
にゃん。
4…29…
みんな自分にない物が欲しくてたまらない。
なんであの人にあって私にはないのか、持っていないから私はだめなままなのではないか、そう思ってしまう。
でも別に無くてもいいのだ。
誰がが欲しがっている物が自分にはあるのだから。
立場やスキル、環境。
あらゆることでそれが言える。
大丈夫だ。
みんな同じ不安を抱えている。
大丈夫。
4・24
時代の進化が怖い。
あれ程願った進化が、進歩が、未来が怖い。
今している努力が、これから全て”0”の地点で、スタートラインにすら立てていないなんてこともあるのではないだろうか。
人を楽にさせるのが時代の進化なのであれば、人を楽にさせた”進化”のそのずっと先に人が何もしない世界があるなら、僕はただただ進化の果てを享受するだけで満足するのだろうか。
ロボットが労働し、AIが全てを解決し、人間は趣味を行い、愛は代替えが効き、朽ちることのない思考の中で終わっていく。
良い世界だろうか、分からない。
未来はどこへ向かうのだろう。
人間にとって向かう方向が前とは限らないのではないか。
きっとこの考えも明日には消えてるのだろうな
今日という過去が、砂時計が終わるみたいに細切れに落ちていく。
おやすみなさい、